阪神・淡路大震災から22年、そして東日本大震災・大津波から6年が経過した。その間にも、全国各地で集中豪雨、土砂災害、火山噴火、豪雪などの自然災害による大きな被害が発生している。東日本ではその多くが津波により、2万人近い死者・行方不明者がでた。今年で集中復興期間が終わり、国は28年度からの5年間を「復興・創生期間」と位置付け、総仕上げを目指している。
我々関西に住む多くが直接・間接に経験した阪神・淡路では、亡くなられた6434人の9割以上の死因が建物や家具の下敷きになったためという。その原因は耐震補強されていない木造建築物が多く、当然のように大きな地震に対しては極めて脆弱な抵抗力しか持たなかったからだ。さらに都市で生きるために不可欠な水道、電気、ガス、通信などのライフライン、そして鉄道や道路などの交通網も寸断された。被害総額は当時で約10兆円にのぼり、被災した人々の心は当時のことを忘れてはいないだろう。
過去1千年も大きな地震に見舞われていなかった阪神間だ。ゆえに想定していなかったのかもしれないが、人間の時間スケールと自然のそれは大きく異なる。たとえば関東大震災は、過去を遡れば江戸中期の元禄時代(1703年)に起きており、それから220年後の1923年(大正12年)だ。地震研究の専門家によれば、関東大震災は過去6千年の平均で見ると4百年周期だそうだが、それも実際のところは諸説があり、現に直近は約半分の間隔になっており、さらに東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9という途方もない大きさだった。そして今や遠い先と思われていた首都圏の大地震発生が意外に近いかもしれない、という考えが有力だ。
実際、いつ起きるか分からない地震への対応に、我々は辛い経験を教訓に生かしてきた。たとえば、6年前の東日本では未曾有の大津波が甚大な被害をもたらしたが、阪神の教訓として耐震設計の見直しがなされた結果、耐震面での被害防止の効果は顕著で、恐らく何千人単位の命が助かったのではないだろうか。これは特筆すべきことであり、とりわけ我が国は自然災害に強い社会インフラの構築が不可欠と言える。建物の耐震化もその一つ。国は安心して暮らせるための施策として「国土強靱化基本計画」を打ち出し、すでに基本法、南海トラフ、首都直下等の対策特措法も成立している。
このほか、毎年のように発生する大規模な土砂災害に対しては、土砂災害防止法の改正などが行われている。また、急務なのは、道路や橋梁、上下水道など社会インフラの老朽化対策だろう。これらの多くが今から50年前にはじまる高度成長期に整備された。今後20年で要更新・要補修等の施設が加速度的に増え、たとえば、近畿地区の建設後50年経過した道路橋は現在35%だが、25年後には80%以上になる。これらの補修はもちろん、耐震化も併せて必要だ。そして関西にもっと必要なのは、大規模災害にも対応できる「道路網」だろう。
東京では首都高速中央環状線の「品川線」が開通し全線供用。すでにそれから2年が経つ。東京外かく環状道路、圏央道のいわゆる3環状道路と合わせると、全体で約9割が整備されたという。その一方で、関西は、淀川左岸線延伸部、大阪湾岸道路西伸部、名神湾岸連絡線など、いわゆる「ミッシングリンク」と呼ばれる、既に出来ていて当然の主要路線だが、いずれもようやく動き出そうとする段階だ。そして各地元が要望する路線が山ほどある。そんな道路が絶対必要な地域、例えば紀伊半島沿岸の各市町は「命の道」と呼ぶ。
災害に対する備えを進めていく上で、自助、共助、公助の3つの視点に立って防災計画を策定していくことが必要であり、加えて「安全・安心」の暮らしを根底から支える社会インフラの強靱化は喫緊の急務だ。それは災害大国日本に生きる我々の願いでもある。