【課題を共有し「使命感」を醸成させる】
 大学生の親世代や企業の管理職クラスの就職活動に無かったものの一つに、「自己分析」があります。「自己分析」とは、学生が自分の過去やこれまでの経験を振り返り、性格や価値観、行動特性、長所・短所、得意・苦手、能力、やりたいことなどを総点検し、自分の個性を発見する作業のことを指します。つまり、ES(エントリーシート)提出や面接試験の際、自分の特徴を客観的にプレゼンテーションし、企業に対する志望理由を明確化するための下準備が自己分析の目的になります。九〇年代半ばあたりから「自己分析なくして就活なし」と言わんばかりに学生必須の常套手段となりました。さらに、二〇一一年、文部科学省の大学設置基準等の改正によりキャリア教育は義務付けられ、我々の世代には無かった「キャリアデザイン」という科目が設けられています。その授業内においても「自分を知る」という自己理解ワークが定着しています。これらの指導によって、大学生の今後の長期にわたる職業人生において避けられない転機や決断の時に、常に自分の価値観と環境などを考慮しながら納得いく選択や創造ができるようになってほしい、という狙いなのですが、なかなか一筋縄ではいきません。
一月に入って、キャリア相談室にやってくる学生が増えて来ました。「何をやりたいのかわからない」、「何が合うかわからないから希望業界・企業が決められない」、「自分は社会人に向く気がしない」、「自己PRが無い」など自信の無さや業界・企業研究の不安を訴えてくる学生が後を絶ちません。これは、偏差値ランクに関係なく、どの大学にもほぼ一定に存在します。「みんな違ってみんないい」と個性尊重を教わったはずが、むしろ平均(ふつう)から、良くも悪くもどのくらい乖離しているのかに彼らは執着します。
また、前回お話ししたように、合理的な手段を好む現代の若者は、「絶対やりたいこと」や「自分の能力にほぼ合うもの」を見つけさえすれば、職業マッチングに失敗は無いという思い込みがあります。その中でも、失敗や挫折の回避が最大の目標となっている学生にとっては、合理的な企業選択の方法を知るための情報収集は怠らず、ひたすら「失敗しない会社選びの方程式」を質問してくるのです。
失われた二十年を駆け抜けてきた彼らの保護者世代は、高度経済成長の終焉を自覚し、経済再生を科せられる子どもたちの未来に安定を一番望みました。「普通でいいから安定した生活を送って欲しい」と。そのために失敗しないよう、安全ルートを保護者はいつも誘導してくれました。またその愛情に報い恩返ししたいというまじめな良い子が、最近の若者には目立ちます。だから「出世よりもプライベートを優先したい」のでしょう。二〇一四年に発表された入学目的から見る大学生の変化に関する意識調査(関西大学社会学部、片桐新自教授)の結果によると一九八七年では、1位が「学びたいことがあった」(六一・二%)、2位は「友人を作りたかった」(四〇・六%)でした。しかし二十五年を経過した二〇一二年の調査では1位が「就職を有利にするため」(五四・一%)、2位は「大卒の肩書が欲しかったから」(四六・八%)に変化しています。今や大学入学は、そこそこの人生を歩むためには必要な肩書きの様です。
さて、本題に戻ります。私が学生に毎度回答すること。それは、自己分析とは、「むしろ自分の失敗ネタから学んだことをどのように社会生活で活かせそうか」を模索することだと。学生の「やりたいこと」とは能力のマッチング、つまり「やれそうなこと」だけではなく、組織の事業目的や戦略、顧客の問題解決に対する興味や、やりがいに賛同する「やるべきこと」を見つけることではないか、と。それは、知らないものからは選べません。無理に早く業界を絞り、型通りのルートを設定し、早期内定を獲得することだけが失敗しないシューカツではない、と問いかけます。
よって、企業のみなさま、春休みのインターンシップに参加する学生全員が、ゴリゴリの入社熱意を持つ者ばかりではなく「この業界・職種に、自分はどんな興味を抱くのか」、健全な猜疑心をもって挑んでいる者もおります。ですから、貴社の強みだけでなく課題や弱みまでもリアルに体感させてあげてください。そんな彼らが共感した組織・団体に、エントリーは集まるのではないでしょうか。未来のホープと課題を共有し、使命感を醸成させることに成功した企業は、応募書類が増え期待通りの母集団形成に繋がることでしょう。
現代の「自己分析」。そうは言いつつ理想通りにはいきませんが、試行錯誤を続けながら彼らの自己実現の為に、また明日も頑張りたいと思います。
新居田 久美子(キャリアコンサルタント)