「日本の国土全体を俯瞰し、調和のとれた整備を行い都鄙の格差を埋め、一体化した国の発展を促す」―。この実現のため全身全霊をかけて取り組んだ政治家がいた。
  昭和47年、「日本列島改造論」を掲げて総理に就任した田中角栄である。そこには「大都市と地方が共存共栄できるよう、そのために政治は、将来を予測して現状を改め、全体との文脈で部分を改善する総合的な政策を確立し、展開しなければならない」とする田中の政治理念が凝縮されていた。
  「日本列島改造論」は、総裁選目的で唐突に出されたものではなく、確固たる下地があった。過密と過疎の問題がいよいよ深刻化していた昭和42年、当時の自民党有志は党の重職を離れていた田中に、都市問題の解決のため一肌脱いでほしいと懇願。田中はこれを快諾し、同3月16日、「自民党都市政策調査会」が産声を上げた。会長職を引き受けた田中はさっそく都市政策の立案に着手する。
  調査会はまず、関係省庁や自治体から都市問題の現状と問題等について報告を求めた他、民間の有識者からも広く提言を受け、精力的な審議が重ねられた。更に問題点を掘り下げるため、基本問題、大都市問題、地域問題、金融財政問題の四分科会を設置。各分科会での検討をもとに都市政策の基本方向、政策を策定するため起草委員会を設け、昭和43年2月から作業にかかり、こうして同5月27日、党総務会で了承され自民党の公式文書としてまとめられたのが「都市政策大綱」であり、この大綱が「日本列島改造論」の原形である。
  大綱は、まず前文で「20年、30年先を展望する長期の視点に立って、都市化の巨大なエネルギーを活用、日本列島全体を改造することをめざすものである。都市改造、国土改造は政府、与党はいうまでもなく、野党をはじめ、民間の力と知恵をあげて結集し、実現しなければならない国民的課題である。ともに手をたずさえて、前進しようではないか。新しい日本の創造はここに始まる」と高らかに宣言。
  そのうえで①都市政策の基本方向、②土地政策、③大都市対策、④地方開発の方向、⑤財政・金融政策―の5項目にわたり体系的に政策をまとめている。
  都市政策の基本方向では「旭川と鹿児島を直結する幹線を軸に、全国を縦横に貫く全長4100㌔の新幹線鉄道網を建設する。また、日本列島の四つの島をトンネルや長大橋で結ぶ幹線自動車道をはじめ、超音速機が発着できる国際空港、国際貿易港、共同原油基地などを建設する」として集中投資によるインフラ整備を提言。また、「地方開発は国土改造の観点に立って、基幹交通・通信体系を整備し、地方の開発拠点となる都市を全国的に配置、育成する新しい拠点開発方式をとる。これらの拠点と背後地の都市、農村を結びつけるため、財政投資を集中投下し、基幹交通など産業、生活基盤を先行的に建設する」という基本方向を示している。
  大綱の具体的な実行は、田中が通産大臣等を歴任したため、しばらく足踏みした。その後更に実力を蓄えた田中は、大綱をより具体化して「日本列島改造論」を上梓し、満を持して総裁選に打って出て見事に総理の座を射止める。総理就任とともに「日本列島の改造こそは今後の内政のいちばん重要な課題である」と謳い、「日本列島改造論」の実行を国民に約束した。
  国民の熱狂はすさまじく、もともと長期的視点に立った政策であるにもかかわらず、すぐにもバラ色の社会が実現するかのごとき幻想を抱かせ、過度の期待を持つに至った事は否めない。また、土地に関しては、民間業者が色めきたち不動産買いに邁進、土地の高騰を招いた。田中の思想は「土地のような公共性の強いものについては、〝公共の福祉〟のためには多少の制約はやむを得ないという、新しい社会通念を育てていくべきである。土地はもはや商品ではない」であったが、そうした高邁な精神を民間業者が理解する事はなく、列島改造を実現するために業者に節度を求めるには無理があった。
  高騰したのは土地だけでなく、物価も上昇した。日銀発表によれば、45年を100として48年4月の消費者物価指数は120・7を記録。更に急上昇を続けたため、政府も放置できず、4月初めから8月末にかけて公定歩合を4回も引き上げたが、それでも収まらなかった。そこへきて第4次中東戦争が勃発し、オイルショックが追い打ち。日本経済はパニック状態に陥った。
  かねてから安定成長を主唱していた福田赳夫が蔵相に就任すると、総需要抑制策へと経済の舵が切られ、列島改造論は頓挫。福田は「日本列島改造論は田中総理の個人的見解にすぎない」と決めつけ、結局インフレの代名詞として政治的に葬り去られてしまった。
  しかし、田中が構想した日本全体のバランスのとれた発展という大きな枠組みは、今日的課題であり、過密と過疎の問題から目を背けていては日本の未来は無いに等しい。新幹線、高速道路の整備が進んだといっても、当初の構想からすればまだ道半ばである。田中角栄の遺産を我々日本人は受け継ぎ共有すべきで、その意味でも安倍政権が掲げる地方創生に大きな期待がかかる。